<遊び呆けてた幼少期>
根っからの面倒くさがりで気分屋な私は、親の言うことはろくに聞かず好き放題。
通知表なんて中の下。 母子家庭だった私は『ダメだし』ばかり喰らう子供でした。
<転機となった小学6年生の時>
授業を脱線しては面白い話を聞かせてくれた担任の先生。その出会いが第1の転機でした。
その先生の『挑戦だ~!!』の掛け声で、みんなの競争心に火が付きます。クイズ問題の登場です。
毎回涼しい顔で正解を重ねる『クラスの優等生』たち。もうそれはそれは嫉妬の対象で(涙)
『いつか絶対勝ってやる!!』私の密かな闘争心。やがてそれは『正解1番乗り』へと導きました。
『47都道府県』を全問漢字表記で正解した上に、めったにない景品の『スケッチブック』獲得。
この時の『勝利の余韻』が忘れられず、中学・高校へと引き継がれました。
<自分で招いた『地獄の大学受験』>
高校3年生の10月中旬。当時の担任の一言に私は愕然・・・。
『島根大学は無理だ』。一度は疑ったその状況は、直近の試験結果で実感へと変わりました。
母子家庭で費用はかけられない。『島根大学』1校という『崖っぷち』の受験。
そして残された時間は、センター試験までたったの3か月。
それまでの無計画な生活は一変、狂ったように勉強に集中しました。
『誰も責めれない自分の甘さ』。後悔しつつも受験まで『合格』しか信じませんでした。
すると成績はみるみる上昇。気づけば3か月で合計『170点』UP!!しかしそこには次なる試練が。
<書けない私に『小論文』という試練>
読書感想文すら満足に書けなかった私の前に立ちはだかったのは『小論文』の壁。
当時まだ新人の『世界史』の先生との出会いが第2の転機。私の小論文の指導担当です。
『何がいいたいのかわからない』最初に書いた渾身の作文はあえなく一蹴。心折れそうでした。
しかし書けない自分に待っているのは『浪人への道』。是が非でも書けるようにしなければ・・・。
『書けなかった原因』と『書ける要因』を分析しながら、指導を忠実に再現する練習を1か月。
そして迎えた2次試験当日。結果は終了20分前に試験の小論文が完成。今の作文指導の原点です。
<人生に必要な『心の成長』>
勉強や人間関係など様々な悩みを抱える生徒さんは多いと思います。
失敗も反省もきっと大人の倍以上。私たち大人でも未だ成長の途中です。
だからこそ子供たちには成功と感動、そして失敗と教訓を経験し人間として
将来を逞しく生き抜ける精神の持ち主になってほしいですね。その先にある
『大いなる成功』と『心からの喜び』を信じて・・・。
角田浩司(すみたこうじ) 昭和50年(1975年)3月31日生 O型
◎出雲市斐川町在住
◎斐川西中⇒出雲高校⇒島根大学卒業
◎大学3年生の時、家庭教師を開始
大学卒業後、東海地方の大手進学塾『佐鳴学院(現:佐鳴予備校)』にて『数学』を担当